2019年振り返り
去年たてた目標を読み返しながら、2019年を振り返る。
1 水分をとる(1日2L)
意識しないとすぐに忘れてしまう水分。
水分を取ったことによる調子の良さを発見できたので、2020は無意識に飲めるようにしたい。
2 筋トレをする
夏明けからできてきたかな?
冬寝る前にやるとすぐに寝ることができるという発見をしてから、寒くても疲れていても少しだけやろうとしている。
サボりぐせが出てしまうとダメなので頑張る。
3 時事ニュースを追いかける
2019年から日本教育新聞を読み始め、朝の通勤中にTBSラジオ 森本毅郎スタンバイを聴いています。
日常でテレビを見る機会がほとんどないので積極的に積極的に。
2020はそれをアウトプットできるといいなあ。
ーー
今年は体に気を遣い、髪の毛に気を遣い、心の余裕を求めた1年でした。
自分は何をしたいのだろうと考え始めた2019でもありました。
さあ2020はどんな楽しいことが待っているんだろう
2019年買ってよかったもの
今週のお題「2019年買ってよかったもの」
1 ソネングラス 250ml Mini
夜の寝る前の時間を楽しく過ごしたくて何かないか探していたところ、何気なく見たYoutuberさんのmini mamistさんがこれを使っていて悩んで悩んで購入。
中に自分の好きなものを入れて、部屋の中に吊るせるのが良い。
買う前に悩んだのはサイズ感。大きいのと小さいのがあり、小さい方を購入した。
小さい方が軽くてベッドサイドにも置けて、こちらを買ってよかった。
2 LOUVREDO 復元ドライヤー
髪の毛のケアをしっかりやりたいと思って、櫛からトリートメントまで見直していたけれど、ドライヤーはどれも同じだろうと思って蚊帳の外だった。
そんなときにTwitterでこのドライヤーを見て、実際に店舗でやってもらってとても感動して購入。
従来のドライヤーはいかに風が強いか、そしてうるさくないかであったが、このドライヤーは送風口を髪のすぐ近くで当てて、振動で水分を飛ばすので低温でも乾く。
髪の毛が傷みにくいかつ、ボディケアにも使えるとのこと。
ボディケアは電気代が心配でまだ使えていません。
(URLが埋め込まれません…)
3 THREEハンドクリーム
塗った直後もベタつかない。和っぽいお香っぽいにおいがとても好きです。
https://www.threecosmetics.com/onlineshop/products/detail/bod-0701005
今年もたくさん捨ててたくさん買いました。良い買い物が年々できてくるといいのだけれど…なかなか難しいです。
今年読んで良かった本はまた違うところで。
「それは本当に選んでいるの?」
関わり手が障害をもつ子どもに対して写真カードや具体物などを提示し「どっちをやりたい?」「どの色がいい?」と言葉を掛ける。
子どもが主体的に活動に取り組めるように「選択」する活動を取り入れているが、果たして本当に「主体的」なのか?
この選択肢には「やりたくない」「提示されているもの以外」がないゆえ、「主体的」なのかどうか念頭に置いて関わらないと、子ども主体どころか関わり手主体になってしまう。
では肢体不自由をもち言葉を発することができない子どもたちへのアプローチはいかにしたら良いのか…
学校で時間割が決められていて、授業の時間も決まっていて、保護者がそう願うからあまり好きじゃない姿勢をやって…
ともやもやしているときに、日本福祉大学教授の金森克浩先生のブログでこんな記事を見つけて少しだけすっきりした。
VOCAを使えば選択できているのだろうか?www.magicaltoybox.org
VOCAというのは
Voice
Output
Communication
Aid
の略で「音声を出力するコミュニケーション機器」である。
「お母さん」というメッセージを入れたVOCAを子どもに渡したが、子どもが何度も押してしまいうるさいからと取り上げてしまったという事例を挙げている。
支援者は、カードや情報機器を使ってコミュニケーションを取ろうとするが、それは子どもとの信頼関係の構築が基礎にあってのことである。
子どものことを知ろうとすることが信頼関係を築くことになるのではないかと。
「叱る」こと、「叱られる」こと
「叱る」「叱られる」は負のエネルギーが働くと勝手に思っていて、他者が同じ空間で叱られているのを聞くとそっとその場を離れたくなる。
子ども(特に未就学児)は大人のサポートがないと生きていけないのに、「置いていくよ!」「知らないからね!」「食べたくないなら終わり!」という言葉は果たして最適解なのか…
世間一般的に「怒る」は感情的なもので「叱る」は相手のことを思った指導、と区別しているけれどそれもどうなのだろうか?
「叱る」を考えたときに「褒める」ということはどういうことなのだろうとも考えた。
教師が児童生徒に「さすが〜!」と言っているのを見てちょっともやっとしたのだ。
どうなんだろう私にも分からない…
と思っていたときに、臨床心理士/公認心理士の村中直人さんが書いたこの記事を発見。
村中さんはこのページで「叱るは問題解決には効果が薄い」「叱るは簡単に依存化する」と言っている。そして「大事なのは、そもそも叱らないといけない状況を減らすために何ができるかであり、その為の手立てや発想をどれだけ豊かに持ち合わせているかということになる」と。
ふむふむと思いながら読んだ。
私は、どうしてその子がその行動(問題行動に関わらず)をしたのかという過程をきちっと把握したいなと。(そんな余裕あるかな…)
叱ることでその場は対処できても、長い目で見た教育効果はとても測ることはできない。だからこそ、支援者は、子どもにかける言葉に対して常に注意を払わないといけないなと思いました。
自分は自分で行動言動を注意することができるけれど、叱っている人が先輩だったら…
難しいなあ…
井の中の蛙
久しぶりに電車を使って遠出をすると「世間にはいろんな人がいるな〜」としみじみ思う。
部活帰りの高校生、タオルを巻いたフェス帰りの人、仕事帰りのおじさま、ベビーカーを押した家族連れ…
普段車しか使わず家と職場の往復がほとんどだと他の人を観察することがほとんどない(じろじろ見ているわけではないです不審者でもありません)
無意識に固まった生活をしていると、限られた部分しか見えず、偏った見方になりやすいな〜って
歳を重ねると新しいものに手を出すことが躊躇われると耳にしますが、意識的にいろんな方面へアンテナを立てたいと思いました。
ちゃんちゃん
ひらがなってどうやって読むんだろう
初任者さんの授業を見ながら、ひらがなってどう読むんだろう、文字ってどう認識するんだろうと考える。
そもそも文字を読めなくてはいけない理由ってなんだろう。
日本は識字率が高いから日常生活に支障をきたす?
楽しい絵本が読みたいから?
文字が読めると大人に褒められるから?
"文字が読めるようになってほしい"という大人の欲が紛れているのでは?とも思った。
もちろん、文字が読めることで世界はとても広がると思う。
お友達の名前を読み上げたり、今日の予定や給食の献立を読んだり…
"文字を読めるようになるとこんなに楽しいことがあるんだ"と分かるような場面を設定しないと子どもは受け身的になってしまうのではないかなと。
難しい
先生がいるから楽しく読める から 先生がいなくても楽しく読める へと段々とシフトしていかなくてはならない。
文字ってどう読むんだろうと考えていたときにこんな記事を見つけた。
文字を読むまでの段階を丁寧にまとめている。
文字を読むのは、"目と姿勢のコントロールから始まる"とありなるほどなあと。