「叱る」こと、「叱られる」こと
「叱る」「叱られる」は負のエネルギーが働くと勝手に思っていて、他者が同じ空間で叱られているのを聞くとそっとその場を離れたくなる。
子ども(特に未就学児)は大人のサポートがないと生きていけないのに、「置いていくよ!」「知らないからね!」「食べたくないなら終わり!」という言葉は果たして最適解なのか…
世間一般的に「怒る」は感情的なもので「叱る」は相手のことを思った指導、と区別しているけれどそれもどうなのだろうか?
「叱る」を考えたときに「褒める」ということはどういうことなのだろうとも考えた。
教師が児童生徒に「さすが〜!」と言っているのを見てちょっともやっとしたのだ。
どうなんだろう私にも分からない…
と思っていたときに、臨床心理士/公認心理士の村中直人さんが書いたこの記事を発見。
村中さんはこのページで「叱るは問題解決には効果が薄い」「叱るは簡単に依存化する」と言っている。そして「大事なのは、そもそも叱らないといけない状況を減らすために何ができるかであり、その為の手立てや発想をどれだけ豊かに持ち合わせているかということになる」と。
ふむふむと思いながら読んだ。
私は、どうしてその子がその行動(問題行動に関わらず)をしたのかという過程をきちっと把握したいなと。(そんな余裕あるかな…)
叱ることでその場は対処できても、長い目で見た教育効果はとても測ることはできない。だからこそ、支援者は、子どもにかける言葉に対して常に注意を払わないといけないなと思いました。
自分は自分で行動言動を注意することができるけれど、叱っている人が先輩だったら…
難しいなあ…