ほくそんの備忘録

日々流れてしまう言葉を書き留める備忘録

夏の講演会

 

令和元年度 栃高教研特別支援教育部会 肢体不自由教育分科会講演会が8月にあり、とても良かったのでまとめます。

 

講演会概要

 

講演者:国際医療福祉大学 保健医療学部 作業療法学科長 教授 谷口敬道先生

 

演題:「子どもの行動のとらえ方と対応の実態〜関係性の発達に着目した取り組み〜」

 

副題:「重い障碍のある子どもたちと教師のコミュニケーション」

 

参加者:栃高教研特別支援教育部会会員

 

講演の趣旨は「言葉を話さない子どもたちの「ことば」をどのようにして聴きとるか」

 

もっと具体的にすると「人と人がコミュニケーションをするとはどういうことか」「身近な人とのあいだのコミュニケーションにおいて大切なものは何か」

 

 

では早速、

 

どれほど障碍が重くても、子どもを一個の人格をもった存在なのだと受け止め、その子どもにきめ細やかな配慮を働かせながら、何とか「子どものことを分かろう」と努める志向性が教師の側にあり、そこから「受け手効果」が生まれ、原始的コミュニケーションが始動する瑞緒となります。

 

 

1)相手のことを一個の人格として認める

 

言語理解できない子どもに声を掛けることは、声のトーンや体の動きなど知覚的情報が詰まっているだけではなく、子どもを一個の人格として認めていることも含まれる。

 

ただ声を掛けているだけでなく、一人の人格としての配慮がそこに現れている。

 

 

2)相手のことを何とか分かろうと分かりたいという志向性

 

教師の、子どもの様子を言語化する表現全体は、子どもの情動を共有しつつ、それを「映し返す」意味を持つ。

 

つまり子どもにとって「情動の共有」→「満足」→「その再現」(安心する→満足する→またやりたいと思う)

 

一番はじめの「情動の共有」は、教師の"この子を分かりたい"という気持ちがまずあって関わりが始まるのだと思う。

 

 

以上コミュニケーションする上で心掛けること2点を確認し、共有した。

 

振り返ると、これは障害のある子どもや乳児期だけでなく、誰かと関わる上でも大切なことではと。

 

障害の重い子と関わる上でとても基礎的な部分なのだけれど、なかなか言語化できてなかったんだと実感した。

 

 

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